夜明け告げるルーのうた [ネタばれあり]

夜明け告げるルーのうた、見てきました。 タイトルからすごくかわいくて、好きだなぁってたのしみにしていたんですけど、 たいへんたいへん良かったので、心が止まらなくなっています。 一言で言うとにんげんと異形のボーイミーツガールものです。 にんげんのおとこのこと、人魚のおんなのこが出会って、いろんな事件が起きる。 監督は湯浅政明監督。 ピンポンのアニメのあのひとですね。 ピンポンめちゃくちゃよかった…おれたちの松本大洋を大切にしてくれてありがとう…。 大切にしてくれてありがとうと思っていたんですけれども、 夜明け告げるルーのうたでも、いろんなもの、町、海、地形、人々、 それぞれぜんぶが大切に大切にされているのがすごくすごく伝わってきて めちゃくちゃやさしい映画でした。ありがとう…。 そんでここからけっこうネタばれありありの感想なんですけれども。 ルーめちゃくちゃかわいいです。 あたまにね、お魚がいるの。そのお魚が、ずーっとルーのあたまで泳いでる。 ああ…人魚なのね…人魚、ほんとうにかわいい…。 そんなルーが、カイ(主人公のおとこのこ)と出会って、仲良くなって、 夜の町を散歩するシーンがあるんですけど、 デートだ!あれは、デート! デートってなんだ?おとことおんながふたりでいっしょに出かけたらデートなのか?しかしおとこのひとが好きなおとこのひととおとこのひとが出かけても、それはデートですよね?んん?しかしおとこのひとがすきなおとこのひとがおとこのひとが相手のことを恋愛対象ではないと思っていた場合は?しかし片方にとってはデートですよね?デートであるという相互認識があればデート?定義は?みたいなことをわれわれは永遠に考え続けている。 しかし、しかしです。 あれはデート。デートでした。 かっぱを着てはしゃぐルー。ずっと海の中から見ていた世界だものね。うれしいよね。はしゃいだ拍子にフードがずれて、人魚のすてきなお魚の揺れる髪が露わになって、それをやさしく直すカイ。踊るように歩くルーはとてもとてもかわいらしくて、わたしだって目を奪われているんだから、カイはもっとですよね。ルーにどんどん恋しちゃいますよね。そしてふたりは、ブランコに乗って、すこしだけじぶんたちのことを話すのです。ほんのすこしだけ。 そのあといろんな事件があって、娘を思うあまりおかしくなってしまうおとうさんのかなしさ、ルーのおとうさんの娘を思う武骨な心、たこばあの思いつづけたひとのお話、町のひとたちそれぞれひとりひとりが生きていてしかしみんな基本的にやさしいという物語の根底のやさしさ、ランダムに1シーンを切り取っても部屋に飾っておきたくなるような、全編にわたる映像のうつくしさ、たくさんあるんですけれども。 「異形がにんげんを助ける」というクライマックス。 こういうとき、いつも、わたしの頭の中は、いつも、にんげんがかってなことをしてごめんなさい、ごめんなさい、ほんとうにごめんなさいと、 じぶんが属する人類というものがほんとうに愚かで、じぶん勝手で、他の存在に比べて「悪い」存在であるということが、ほんとうに心苦しくて、たまらなくなってしまうんですけど。 異形たちはやさしい。目の前のことに対して、絶対的に「良い」ことに素直に行動して、にんげんを、ルーを閉じ込めたにんげんを、ルーのおとうさんをあんな目に合わせたにんげんを、じぶんたちを見捨てて、殺そうとさえしたにんげんを、じぶんたちのからだがぼろぼろになって疲れ果てても、ただただ懸命に救おうとする。 わたしのあたまの中がごめんなさいでいっぱいになったときに、 にんげんが、異形をたすけるのです。 おじいちゃんがいっしょうけんめい作っていたたくさんの傘をみんなで必死に運んで、日の光が弱点の異形たちに渡し、異形たちは、にんげんに助けられて、みんなでがんばって、みんな、ほんとうに、ありがとう、ありがとう…。 思い出しても涙が出てくるくらい、とてもとてもうれしかった。 にんげんと異形は、助け合うことができるんです。 わたしたちはいつも、生きてるだけで他の生物に迷惑をかけてしまうほんとうにダメな生命体なのですが、それはほんとうに、どうしようもなく事実なんですけど。 でも、この手で作りだした文明、機械、道具(傘)で、たくさんの他の生き物を助けることができるというのも、いっしょになにかを守ることができるというのも、ほんとうに、事実なのです。 なんか精神世界めいたことを言い出したぞ!あぶない! はぁ…ほんとうによかった…。この物語をこの世に生みだしてくれたみなさん、ほんとうにありがとうございます。わたしの心は救われました…。 そんで、ルーに出会えたカイ、いいな!カイに出会えたルー、いいな! 恋っていいよね!誰かのために歌うたいのバラッドが歌えるなんて、だれかにじぶんのために歌うたいのバラッドを歌ってもらえるなんて、そんなのは最高の恋でしかないよ。われわれはいつだって最高の恋にあこがれつづけるのだ!

スイッチを買わないために落ち着くぞ。

スイッチほしい。 ニンテンドースイッチがほしいです。 でもでもまってまってだってね、 けっこうこないだPS4を買ったし、 あとねぇ、ほら、わたしはいつもひとりだから、ひとり…だから…、 だから、どちらかというとPSVRのがほしいんですよね。 バーチャルリアリティ〜によってひとりじゃないと思えるかもしれないじゃないですか。 あとほら、スイッチはまだ、ゲーム機械を買うなら最低3つはやりたいソフトをあげなさいの決まりがまもられてない。 スプラトゥーン2! スプラトゥーン2! スプラトゥーン2! でも、スプラトゥーン2が出る夏までに、3つやりたいソフトがなくても、スプラトゥーン2はたぶんやりたいとおもうからどっちにしても買うんですよね。 ここがこまる〜。 どうせ買うなら今から予約なりなんなりしてあれしなさいと思うけど、 あと、同梱出るかもみたいなのもきになるじゃないですか。 ここもこまる〜。 同梱出るなら買えないよ。いまべつにそんなにやりたいゲームないもん。 たださわりたいくらいだもん。 あと舐めたい。 あとPSVRめっちゃほしい。 めっちゃほしくなってきた。 あしたほしい。 え〜〜。 なんかいろいろ言ってたら、じぶんがほしいものが見えてきてしまった。はからずも。 もうどうしたらいいのかわかんないし、 なにもかもほしい。 わたしはなにもかもがほしい。 i want everything. あと英語が話せるようになりたい。

コーヒーがおいしくできるおまじない。

コーヒー、豆を挽いて淹れる派なのですが、 いただいたコーヒーが挽いてあるやつで、 けっこう粗く挽いてあったのだけど ちゃんと出たので、 なるほどけっこう粗くてもだいじょうぶなのだなと もってた豆を見よう見まねでじぶんで粗く挽いてみたら、 水みたいなコーヒーができあがって、 わたしは水みたいなコーヒーは好かないので めちゃくちゃに暴れながら捨ててやった。 めちゃくちゃに暴れながら捨てたと言ったら怒られるから、スタッフがおいしくいただきましたと言うのかな。 わたしはひとり、いつもひとりなので、スタッフはおいしくいただいていません。 わたしが捨てた。流しに。 コーヒーを挽いて淹れるのは、 平坦な日常の中ではなかなかたのしいもので、 おいしくできたり、暴れながら捨てることもあり、 心が真っ平らの日々にすこしだけなにかを思うのに便利。 平日はあまり感情の起伏がないので、いろいろ考えられて良いと思う。 かもめ食堂で、コーヒーがおいしくなるおまじないとして「コピ ルアク」というジャコウネコの糞のコーヒーのなまえを唱える場面があるのですが、 わたしはずっと「ルピ コアク」と唱えて、 なるほどおまじないをするとたしかにおいしいな…と 元気にかっこわるく生きていました。 わたしはいつもまちがっている。 ルピコアクで淹れたコーヒー。 のみものたべものは、そんなにおいしくなくても飲んだり捨てたりすればそれでなくなるので、けっこういいよなと思う。 じぶんが作ったシステムとかは、まぁけっこう残り続けて、あまりお手入れしなくなったものでも、ずっと「あいつ元気でやってるのかな」と思いつづけて生きているので、 準備して、まちがった呪文を唱えて、飲んだらおしまい。 そういうものが、日常に組み込まれてるのは、すこしホッとする。

人喰いの大鷲トリコやりました。

うれしくて、たのしくて、わくわくして、 しあわせでしあわせでしあわせなのに、 なぜかずっとかなしかった。 頭がはまるトリコさん。 人喰いの大鷲トリコをやりました。 トリコはばかで、 あまったれで、 やさしくて、 わたしのことがだいすきでした。 わたしはよく死ぬし、 トリコがぜったいだいじょうぶ!って顔してるから、 わかった!ってトリコを信じてピョーンて飛んだのに トリコをすり抜けて死んだりしてたんですけど、 トリコはずっとわたしを助けて、 いっしょにいてくれて、 こんなのは、心を奪われるしかなかった。 はりきるわたくしと、心配のあまり変な顔になるトリコさん。 トリコを助けるためにわたしがやらなきゃいけないことがあって、 いつもだったら「こんなの無理だ…」って 諦めてしばらく寝かせたりするんだけど トリコがうう…ってなってるのを見ると、 ぜったいにわたしがたすけてやるからな!って どんどん勇気がわいてきて、 こわいところにも、ヤー!って飛び出せた。 トリコのことがどんどん好きになって、 トリコといっしょだったらなんでもできた。 でも、お話はどんどんすすんでいって、 きっと、離れるしかないんでしょう?って そんなことを考えたら 涙がどんどんでてきて トリコは顔をふんわり寄せてきて、 撫でるととても気持ちよさそうに唸ってた。 さいごのとき 動けなくなりながら、 いっぱいいっぱいトリコを呼んだ。 ありがとう、トリコ、だいすき、だいすき、ありがとう、ありがとう。 トリコ、もういいよ。 わたしはどうぶつがとても好きで、 お別れのとき、どうしても、 離れたくない、そばにいてほしい、おねがいだから、どこにもいかないでと、 手を離してあげることができない。 ゲームとはいえ、 じぶんが心底好きになったどうぶつに、 そんなことを思えるのが不思議だった。 オイオイ泣きながら、絶対にいっしょにいたいと思いながら、 それでも、もういいよって、思ってあげることができるなんて。 いっぱいわたしたちはいっしょに冒険したから、 こわかったり、もう無理だったり、最高に楽しかったり ぜんぶおぼえてるから、だいじょうぶ。 トリコ、もういいよ。 とにかく頭がはまるトリコさん。 また、一生やりつづけてしまうゲームを手に入れてしまったな。 なんどもなんども冒険して、なんどもなんども泣こう。 次にやるときは、もうすこしじょうずに、トリコのこわいこわいを、わたしがパーンとしてやるからね。 そして、いっぱいいっぱい撫でてあげよう。 イソイ。イソイ。