しろくまカフェをずーっと見てる。
しろくまが経営するカフェ、しろくまカフェの、お客さんや店員さんやそのまわりのひとたちのアニメで、原作のまんがもあるそうです。わたしは読んだときないのだけど。
しろくま、パンダ、ペンギン、ラマ、なまけもの、グリズリー、アナグマ、コアリクイ、キノボリカンガルー、エゾリス。
ちょっとリアルめのどうぶつのフォルムやうごきがかわいくてかわいくてずっと見てたんだけど、
常勤パンダさんがシンガポールにいってしまう回、
「いつもの動物園」「雨の動物園」が、とてもとてもグッときてしまった。
明日シンガポールに旅立ってしまう常勤パンダさんがそっとパンダくんの頭を撫でて、なにもしらないパンダくんはふふふって笑って、
飼育員の半田さんに、常勤パンダさんがいなくなったことを知らされて、
常勤パンダさんは、いつも内職って、ティッシュにチラシを詰めてたんですけど、
街中でティッシュ配りのひとにティッシュを渡されたパンダくんが、
いつもかわいいかわいいばっかりのパンダくんが、
泣いてしまうんですよ。
それはもう、ボロボロと。
さいしょに見たとき、うそでしょっておもった。
パンダくんが泣いてしまうなんて。
しろくまカフェは楽園なのに。
そのまんなかにいるパンダくんは、いつも笑ってなきゃ、いつも楽しそうでいてくれなきゃ、
そんな、パンダくんが、泣いてしまうなんて。
パンダくんは、じぶんではなにも言わないんです。
さみしいよーとか、かなしいよーとか。
半田さんたちになにか言われても、
うん……うん……
って、
それが、どうにもならないこと、じぶんではどうにもできないことを、ずっと頭の中で考えているような、受け止めきれないでいるような、なにも考えられないような、
喪失というものを、とても上手にあらわしていたとおもいます。
でも、しろくまくんへのおわびにカフェをやったときもそうだったけど、
パンダくん、やらなきゃってなると、無心にがんばるんだよね。
そんでその無心に働いてるときに、見てるほうはハラハラするし、そんなにがんばらなくても…って泣きそうになっちゃうんだけど、
パンダくん自身は、常勤パンダさんがいなくなっちゃったからぼくががんばらなくちゃ!がんばらなくちゃ!ってやってるわけじゃなくて、
なんだかわからない感情で、ただただ目の前のことを無心にやっているという感じで、疲れるまで、倒れるまで、かなしい、さみしいを振り切ろうとしているのかい、それとも、そんなことは特に考えていないのかい、どうぶつだものね、しかし見ているほうは、そこにドラマチックを感じてしまう…ウッウッ…。
そんでそんで、ペンギンさん。
ペンギンさんがギャンギャン言ってるとこは、
正直ちょっとギャンギャンうるさかったんですけど、
ペンギンさんは、じぶんはパンダくんの親友だ〜〜とか、なんかギャンギャン言ってたんですけど、
パンダくんは疲れてぐうぐう寝てたわけですよ。雨の中。
んで、なにも知らないパンダくんがカフェにやってきて、ペンギンさんもぐぬぬとなりつつもなにも言わず、それぞれは、それぞれの思いを、それぞれの心の中に留めて、語られることはなにもないんです。
いつもより、みんながちょっとだけパンダくんにやさしい。
パンダくんも、なにかわかってるようだけど、なにもいわない。
バイトも週2に戻ったし、常勤パンダさんから手紙きたよ〜なんてきゃっきゃ言っちゃってさ、
君、あのときなにを考えていたの?ねぇ、どんな気持ちだったの?言わない、言わないよねぇ。別に何も考えてなかったのかもしれないしさ。
ギャンギャンうるさいペンギンさんも、ギャンギャンなにを喚いていたのかを言わない。
言わない世界が、すごく穏やかで、
パンダくんは成長したようで別になにも変わってなくて、
しろくまカフェは、やはり、楽園なのです。
最終回に常勤パンダさんは、シンガポールからパンダくんに会いに一時帰国するんですけど、
その常勤パンダさんを発見したパンダくんが、
頰を上気させて、パアアアってなって、
いつもノタノタよちよち歩くパンダくんが、
すくっと立ち上がってタタタタって駆け寄るんです。常勤パンダさんに。
それで、すべてが語られた。
あのときのパンダくんの気持ちのすべてが。
わたしはそのシーンを100回見ました。
100回泣きました。
ありがとうしろくまカフェ。あと100回見ます。
オープニングとエンディング、さいしょ「なんだこのうた、だっせぇ。聞くに耐えねぇ」って素早く飛ばしてたのに、だんだん朝起きたら口ずさんでる。もうだめだ。